愛と人生の悲喜交々を歌い、生い立ちやストリートで歌っていたことがあったところから、フランスが生んだ世界の歌姫、エディット・ピアフの再来と賞賛の声も上がるZAZ。スキャットも小気味良く上手い。カズーという楽器を通したような音(歌声)に僕は彼女を「スキャットの女王」と密かに呼んでいたりする。
CDを先に聴くかDVDを先に見るか。それはあなたの自由。どちらにしても、彼女の切なくメランコリックなメロディーにヤラレちゃうか、ポッピーでキャッチーな良質の楽曲に心躍らされるかのどちらかなのだから。
来日までにフランス語でシンガロング!ガチで練習してみようか。
ZAZ来日公演日程
2月23日(木)赤坂BLITZ
2月24日(金)赤坂BLITZ
2月25日(土)なんばHatch
(rick)
そこで作られた楽曲たちは、インターネット(Bandcampなどの音楽系SNS)を通じて全世界のインディー愛好家たちのプレイリストを次々と浸食していった。そして、あのPitchforkをはじめとする音楽メディアに取り上げられると、その勢いは加速。インディー・レーベルからリリースした7インチEPは姿を消し、果ては、同じようにネット経由(こちらはmyspace)でメジャーへのし上がった先輩(?)のLily Allen主宰でコロンビア傘下の新興レーベル、In The Name Ofの契約第1号アーティストとして、見事、1stアルバムをリリースすることになる。
そのアルバムのタイトルは”Cults(カルツ)”。この物語の主人公である、Brian OblivionとMadeline Follinによるデュオの名前がそのままタイトルになっている。前述のForestFamiyから2010年にリリースされたEPに収録されている’Go Outside’や’Most Wanted’も収めた全11曲は、ミッド〜ロウテンポ中心で、ドリーミーかつ哀愁漂う、どこか懐かしく馴染みやすいメロディーラインがクセになる楽曲が並ぶ。
ブレイクのきっかけとなったEPが2010年リリースだからと言う訳ではないが、2011年リリースというのは若干リリースが遅かったかな、という印象を多少感じるところではある。しかし、更に個人的な意見を重ねさせて頂くと、彼らのサウンドが醸し出す雰囲気は、どこか晴れない今の世の中に確実にフィットするはずだ。そして、すでに様々なRemixが存在しているが、その中で特にオススメしたいのは、同じブルックリンで活動するファンクバンド、Menahan Street Bandがファンクネスを注入した’Go Outside (Menahan Street Band Remix)’。
(groovenuts)
二人が一緒にステージに登場。Johnny Gillは白、Keith Sweatは黒のジャケット。「Just Friends」、「Curious」とLSGの曲が続く。Johnnyが「LSGファンに捧げる。」と言って「Door#1」が始まると、会場から大きな歓声が。ファンが大好きな曲を、彼らもよくわかっているようだ。本人達もこの曲でテンションが一気にあがったようで、Johnnyは大汗をかきながら熱唱、Keithはスキップをする程だった。しかしKeithは何をしても一々格好がいいのだ。Johnnyがソロで歌っている間、バンドメンバーに話かけたりスタッフに何か指示を出しているだけなのだが、全ての動きが絵になっていた。
Johnnyだけのステージになると、彼のシンガーとしての力量にただただ驚いた。特に、ニューアルバムからの「In The Mood」には圧倒させられた。脱いだジャケットを振り回してこれでもかと声を出して歌う姿。1時間以上のステージの場合、どんなプロのシンガーであれ多少なれともセーブしながら普通は歌うのだろう。しかし、彼には全くそのような様子は見られない。終始走り回りジャンプしながら、全身全霊で歌う。彼の歌に注ぐ精神と声量は、同じ人間の持つものとは思えなかった。ライブ終了後には、体重が数キロ落ちているのではと思わずにはいられなかった。そんな超人的な彼だが、親しみやすく気取らない人で会場内で起こった笑いは全て彼によるものだった。
「My My My」ではバラを数人に配ったのだが、不思議とロマンチックな場面なのにそんな雰囲気がしないのだ。それは良い意味でなのだが。ファンの一人の手を握りながら歌っても、何故か微笑ましいという風に見えた。
一方Keithは想像通り、隠しきれないセクシーさと大人の雰囲気をまとっていた。額に刻まれた皺でさえも渋さに変え変わらぬ目の表情に、釘付けになった女性ファンも多いはずだ。Johnnyの熱唱に触発されたと思われるKeith。「Twisted」、「Nobody」といったファンが絶対に聴きたい曲から、「Make You Sweat」等ニュー・ジャック・スウィングで会場を盛り上げたKeith。正直、スローバラードではJohnnyに喰われ気味だったが、ニュー・ジャック・スウィングとなるとKeithが本領を発揮していた。
二人の代表曲とパフォーマンスを十分に堪能している間にライブも終了に近づき「My Body」でまたまたLSG復活。Gerald Levert亡き後、LSGは幻のグループとなっていた。しかし、今回の公演でこのスーパーグループは健在だという事を実感した。なぜならJohnnyとKeithの二人が、LSGとしてのパフォーマンスに誇りを持っている事を大いに感じたからだ。
全てのパフォーマンスが終了し、二人に鳴り止まない拍手。ステージを去る二人に握手は求めるものの、サインをねだるファンは見られなかった。二人へ敬意から、足を止める事は憚られたと思われる。アンコールは無かったが不満の声は聞かれなかった。特にJohnnyが全ての力を出し切ってパフォーマンスを行っていた事が誰の目にも明らかだったからに違いない。「またすぐに戻ってくるよ」と言っていたJohnny。それが実現する事を願わずにはいられない。
(satokkuma)
Twitterでは果たして彼らはどんな新しさを提示できるのかということや、2011年でもモダンエイジたりえる作品であるのかに注目が集まっていた作品である。
そんな期待が募る中、投下された彼らの作品の中には…
電子音楽があった。
The Cureを思わせるような80年代のニューウェーブサウンドがあった。
ジュリアンカサブランカスの進化したボーカルがあった。
そう、ストロークスの『Angles』という作品には今までにないストロークスが刻まれていたのだ。
ストロークスの今作は彼らの4thアルバムにあたり、このアルバムの魅力はポップさと実験性を両立させたバランスにある。
そしてこの作品は真の意味で彼らの2ndアルバムであると言える。
まず今回アルバムを聴いて耳を奪われたのが、電子音楽の導入である。
3rdを除いて、1stと2ndアルバムはほぼガレージロックのアルバムであったが、一曲目から電子音楽が聴こえてくるのである。
最初は最近の流行に乗ったのかと思ったが、そうではなくこれがうまくポップとして作用しているのだ。1stは洗練されていながらもざらついたガレージロックであった。はまれば抜け出すことのできない中毒性があるものの、一回聴いただけでは耳に馴染まないものであった。
しかし今作はガレージロックを基調としながらも、電子音楽を足す事で、電子音楽の『聴きやすさ』がガレージの耳馴染みにくさを補完し、お互いをカバーしあっている。
つまり電子音楽の導入が意味するのは、今作が今までにない試みを行っているという実験性と、それによって補完されたポップさを意味している。
それ以外にも今作の実験性は散見される。
今までにない試みの一つにボーカル、ジュリアンカサブランカスによる様々なボーカルのスタイルが披露されている。
例えばトムヨークを思い出させる無機質なボーカルがあったり、ハードロックバンドのボーカルみたいなシャウトすらあり、サウンドに合わせて声色を変えているのだ。
そして僕が真の意味でこの作品が彼らの2ndだと思うのが、この作品の圧倒的な完成度である。
1stの完成度は言うまでもないが、それに続く2ndはポップになったものの、1stと比較してアルバムの失速感は顕著であった。そして3rdはポップになりすぎた反動だろうか、急に実験的になり極端な作品となってしまった。
僕は以上のような理由で2ndと3rdに関してはこのブログに記事を書いていないのだが、このアルバムは違う。
彼らのインタビューにもこの作品は2ndと3rdの間にリリースすべきだったとあったが、まさにその通りだ。『Angles』は2ndと3rdの穴を埋めるピースであり、ポップさと実験性を両立した圧倒的完成度を誇る傑作である。
だから僕はこの作品こそ、真の2ndアルバムだと思うのだ。
新しい手法を用いて、ストロークスを更新した彼らは今まさに二回目の黄金期を迎えているように感じたのである。 (boriboriyabori)
春一番の向かい風をまともに受けぬよう、背中を丸め、渋谷の雑踏を一人ヨタヨタと歩く。
この街も夕方だというのに これまでにない程、閑散としている。
いつもと違う 張り詰めた空気。
それは会場の中ですら、誰しもがそう感じていた。
開演前、緊急地震速報が流れた際の対処法がアナウンスされる。
異様な空気に、困惑した人々がざわめき始める。
そんな中、人々の不安を押し込めるかのように、静かに幕が開いた。
今回のツアーは2月にスタートし、本来、既に数カ所でライブが行われている筈だった。
・・・あの震災が起こるまでは。
そして、その影響により、延期した地域が出来た。
自粛の空気が流れる今、このツアーをこのまま続けるべきかどうか・・・、
ぎりぎりまで話し合った結果、私達は続ける事にしました。
MISIAは、MCでそう話した。
まずは、被災者の方たちに向けたコメントを、
そして彼らに向けた新しい曲を 今回書き上げた事を淡々と話すMISIA。
そして今日この瞬間、復興支援として、ライブ音源を録りたいと思います。
彼女がそう静かに語ると、会場にはあたたかい、大きな拍手が湧き起こった。
MISIAの声には、卓越した力がある。
それは今に始まった事ではないし、ファンに言わせれば、
そんなの慣れ親しんだ歌唱力だよ、と笑われてしまう台詞かもしれない。
しかし、今日のMISIAは明らかに違った。
魂の歌声。熱を帯びた心の叫び。・・・念を入れた声、と言えばわかりやすいだろうか。
大地から吹き上げる全ての生命体が、彼女の全身をすり抜け、歌声として現れる。 私は生まれて初めて、歌詞の無意味さを痛感した。
言葉とは、人間のみが操る事の出来る、ある種の武器である。
それなのに・・・。
悲しさ、悔しさ、虚しさ。そして希望を彼女は大地を通して感じ、
喉を使って天へと誘う(イザナウ)。
溢れくる魂の叫びに、誰もが息をのみ、彼女ににじり寄る。
ふと、私の中で とある景色が広がった。
それは、昔私が旅した場所だ。
松島の美しい海。
沈みゆく太陽を遊覧船から望む、友人達の背中。
真っ白な波飛沫を魚に見立て、楽しむかのように、飛び交い啄むカモメ達。
そして、、、現在。
人、建物。全てを飲み込み、掻き消し、まるで戦場の跡地のような
グレーの世界が広がる。
愛し、憧れ続けたあの人の涙と小さな笑顔。
途端に、私の瞳の中にいるMISIAの姿が ぼやけて霞んだ。
人は生き続ける限り、困難とぶつかり続けなくてはならない。
人は生き続ける限り、その困難を乗り越えなければならない。
その先にある小さな光を掴む為、足掻き、もがく。
ただひとえに愛する人を守る為・・・。
〜私はみんなが元気になるなら、例え声が枯れようとも、歌い続ける〜
その魂の歌声は、そう耳打ちし、私の中を駆け巡る。
そして音楽の本来あるべき姿を見つめ、次第に力が漲ってゆくのを
私は感じていた。
奇跡の歌声が、あの場所へ届きますように・・・。
涙を拭い、会場中の誰もが祈った瞬間だった。
MISIA 「明日へ」(無料公開動画)
(pikari)